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ブルーム(Broome)はオーストラリアの西オーストラリア州キンバリー地区にある町。ダンピア半島の西の付け根にありインド洋に面しており、観光と真珠養殖を主な産業としている。州都パースからは北東へ2,200キロメートル。 年間を通じての人口は14,436人(2006年国勢調査では11,547人〔Australian Bureau of Statistics (25 October 2007). "Broome (Urban Centre/Locality)". 2006 Census QuickStats. 2008-10-02 閲覧.〕)で、観光シーズンには45,000人ほどまで一時的に人口が増える〔Population Statistics 〕。ブルーム国際空港がオーストラリア国内の大都市やブルーム周辺の中小の田舎町との間を結んでおり、パーヌルル国立公園(バングル・バングル)をはじめとするキンバリー地域の秘境観光の中継地にもなっている。 == 歴史 == ブルームはアボリジニのヤウル人(Yawuru)が今も住む地域に位置している〔National Native Title Tribunal: Yawuru people recognised in Broome 〕。 ブルームに来航した最初のヨーロッパ人はイギリスの航海者ウィリアム・ダンピアで、1688年と1699年の二度この地を探検しており、この地方の海岸沿いには多くの地名がダンピアにちなんで付けられている。1879年、西オーストラリアの政治家チャールズ・ハーパー(Charles Harper)は、西オーストラリア北部海岸の真珠産業に供するための港湾が必要だと考え、ローバック湾(Roebuck Bay)が港としてふさわしいと主張した。1883年にはジョン・フォレスト(John Forrest)が港と町を置く場所を、ローバック湾の北端に突き出した細い半島上の地に選び、1883年から1889年まで西オーストラリア知事を務めたフレデリック・ブルーム卿(Sir Frederick Broome)にちなんでブルームと名付けた〔Broome sweeps in a little luxury 〕。 1889年にはシンガポールとブルームを結ぶ電信用の海底ケーブルがインド洋に敷設され、オーストラリアとイギリスの間が電信で結ばれた。ブルームの町の近くの長い砂浜に海底ケーブルの陸揚地点があるが、この砂浜が海底ケーブルにちなみケーブル・ビーチ(Cable Beach)と呼ばれる観光地になっている〔。 真珠の積み出し港となったブルーム周辺では、真珠産業に多くの男女が従事し過酷な労働を行った。ブルーム周辺の真珠産業は、現在では大規模な真珠養殖が主となっている。1880年代に真珠養殖が始まった当時は、まず真珠層をつくるアコヤガイを海底から集める作業が行われていた。中国人やマレー人や中東出身者のほか、和歌山県など日本からの移民が主に潜水夫として従事したが、この作業は多くの犠牲者を伴った(Blackbirding)。ブルーム郊外にある日本人墓地には真珠採りの作業中に潜水病などで死亡した潜水夫ら919人が葬られている〔Broome - Things to See 〕。行方不明となった人々を入れると、犠牲者の総数はわかっていない。 ブルーム市内には現在小さなチャイナタウンがあるが、かつては小船に乗っての真珠採集や真珠養殖、それを支える浜辺での作業に従事する日本出身者らが日本人街を作っていた。オーストラリアでは白豪主義政策により排日の圧力が高まっていたが、第二次世界大戦が勃発するまで日本人ダイバーらはブルームの真珠産業の欠かせない一部となっていた。太平洋戦争が始まると、オランダ領東インドとオーストラリアを結ぶ地点にあるブルームにはアメリカ軍やオランダ軍などが駐留したほか、オランダ領東インドからのオランダ人難民も多数流入していた。一方で戦中は日系人も収容所へと送られた。開戦直後の1942年3月3日にブルームは零式艦上戦闘機による空襲を受け、少なくとも88人が死亡した〔Australia's War 1939-1945 〕。戦後になって町も真珠産業も徐々に復興した。 1960年代の鉱業ブームと、同時期の観光産業の成長も、ブルームの成長と産業多角化を後押しした。ブルームはオーストラリアでも成長の著しい街の一つとなった〔。 2000年代に入ると、インド洋でガス田の開発が活発になった。鉱区自体は、北方500km以上の沖合であるが、ブルームが拠点となるなど地域経済に貢献しつつある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ブルーム (西オーストラリア州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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